おやき学校とは
槙野地小学校の歴史
槙野地小学校は、明治7年5月20日に創立しました。
その後、明治9年に槙野地と浅川地区民の協議により浅川時当に小学校を創立、同12年に分離独立しましたが、対象15年に佐原村立左貫小学校槙野地分校となりました。更に戦時体制下に入った昭和16年には佐原村立佐原国民学校槙野地分校と改称され、同22年の戦後の学生改革により佐原村立左貫小学校槙野地分校、同30年に町村合併により、佐原町立左貫小学校槙野地分校となり、同31年大子町立槙野地小学校とし独立しました。
明治から昭和にかけて「独立-分校-独立」という変遷がありました。地域文化の中心、児童教育の場、地域の心のよりどころとし地域発展の為に貢献し多くの優秀な人材を世に送りました。
時代が移り変わり社会の変化に伴う人口過疎、少子化などにより児童が減少し1学級あたり児童数は1人から5人となり適正な規模による教育を展開することが難しい状況に至り、平成8年に大子町立さはら小学校と統合し創立120年余りの歴史を閉じました。
国登録有形文化財・歴史的建造物
現校舎は昭和25年の校地の移転に合わせて同年に竣工し、昭和36年には西側に2教室が増築(現製造工場)された。
当初の様子が残るのは、かつての職員室(現事務室)のみとなっており床板や竿縁天井、漆喰壁など当初の仕様が残っています。他は全面床を下げて土足、天井は小屋組表しとしており、全体的改修されていますが、外観は当時の姿を残し雰囲気に合わせて改築され国の有形文化財の歴史的建造物に登録されております。
大子おやき学校
歴史ある校舎を存続させるため、山村振興等農林業特別対策事業により改築し町及び関係団体の協力により大子おやき学校組合とし平成10年にスタートをしました。
おやきの種類は10種類を数え、ピーク時の平成13年には製造個数25万を数えた。
存続の危機
東日本大震災以降、厳しい運営状況が続くなか、令和2年の新型コロナウイルス感染症に伴う売上減少により更に運営が悪化し、令和3年9月に、おやき学校組合での25年間の運営が終了となりました。
再スタート (令和3年10月)
新型コロナ感染症が収束しない中、大子町の協力のもと新たな管理者(大子町振興公社)により、外装を始め室内は町内廃校の備品をリノベーションし内装を一新し再スタート。
翌年(令和4年)には、伝統を継承しつつ製造工程の一部機械化を図り運営の立て直しとともに、長期休業中の食堂を、古き教室の空間を利用しおやきカフェ「茶イム」としオープンしました。
翌5年には、キャンプ場の開設等、多機能な大子町の観光スポットを目指しております。
振興公社のスタッフにてリニューアルを行い気持ちのこもった施設になりました。